DAY bye DAY

いろいろね、あったぶんだけね 宝物(おもいで)もふえて

僕とプロツアー。

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《自分語りのガラク


2020/3/24、Magic Online上で行われたリミテッドPTQにおいて準優勝という成績を残し、自身初となるプレイヤーズツアーの権利を得ることができた。

 

 

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タルキール龍紀伝の頃にマジックを始めたので、丸5年ということになるだろうか。それこそまだPTがプロツアーという名前だった時から、何度も憧れ、夢にまで見た舞台に自分が立てるということに正直まだ実感が湧いていない。
こんな時くらい、少しだけ自分語りをさせて欲しい。

僕が初めてマジックに触れたのは2015年の5月16日だ。

その頃の自分は学生時代から続けていたデュエルマスターズを中心にプレイしていたが、現在のように公式が競技層に向けて力を入れていない時期で、年に一回の公式大会以外は非公式で開催されるCSと呼ばれる中規模大会が主な目標という感じだった。
一度だけバカヅキでエリア大会優勝、全国大会トップ8という成績を収めたが、その後は定期的にCSや公式大会に遠征しては予選落ちを繰り返していた。ただ、それでも自分はなんとなくこの先もこのゲームをプレイし続けるんだろうなと感じていた。

 

話を戻そう。いつものように石川勢とTSUTAYA金沢店に遊びに来ていた僕は、当時まだ石川にいた米さんとナダルさんに誘われ、ルールを教えてもらいながらシールド戦をした。当時タルキール覇王譚でフェッチランドが再録されたことにより他TCG層が大量に流入し、その流れに自分も乗っかった形だ。初めて剥いたパックから《汚染された三角州》を引き、当時学生だった自分は「それ2千円くらいするよ」と教えてもらって「こんなカジュアルに2千円出るの!?」と驚いた。まだサイドボードもインスタントの概念も知らない状態だったが「パックから剥いたカードでそのまま遊ぶ」という体験は国産TCGしかプレイしたことがなかった自分にとっては新鮮だった。先に始めていたはずの米さんに2-0か2-1で勝ち越し、その時は気分が良かったのを覚えている。

 

 最初は「遊ぶ分にはいいかな」くらいの距離感だったが、そこからハマり始めるまでが早かった。元々TCGの競技プレイに興味があった僕は、TwitterのTLから流れてくる断片的な情報を元に当時のスタンダードのメタデッキや大会結果の情報を少しづつ漁り始めた。歴史が長いゲームゆえ膨大な数の戦略記事やカバレージが溢れていて、欲しいと思った情報にすぐに辿り着けるという体験が嬉しかった。

その過程でプロツアーという賞金制の世界大会があること、そして直近のプロツアーで日本人が準優勝したことも知った。八十岡翔太だ。

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後のプロツアーチャンプである

僕にとっては初めて知ったMTGのプロということになり、その憧れが今でも続いている。初めて組んだスタンダードのデッキはエスパードラゴンだし、PT龍紀伝の対戦動画は何度も繰り返し見たし、八十岡氏本人による青黒ドラゴンの調整記は今でも読み返すほど大好きな記事だ。

八十岡翔太の「青黒ドラゴンコントロール」構築録|読み物|マジック:ザ・ギャザリング 日本公式ウェブサイト

 まだプロツアーへどうやったら行けるのかも分かっていない僕だったが、資産が無いながらにスタンダードのデッキを組み、プレリリースにも初めて参加し、徐々にマジックにかける比重が大きくなっていった。

 

そんな中、2016年の1月に名古屋で開催されるリミテッドGPに誘われた。
名古屋はデュエマ時代からの友人が住んでいることや、先述のCSが頻繁に開催されていた地域ということもあり、比較的馴染み深い場所だ。参加に躊躇はなかった。
結果から言えば、僕は初日シールド7-2、二日目ドラフト4-2(3-0、1-2)で11-4という成績を収めた。GP初参加かつリミテッドという経験が大事なフォーマットでこれは今考えても色々と出来過ぎな結果だ。
しかし運に恵まれていたとはいえ一時は2敗をキープし、あと2勝でPT、1勝でも賞金圏内のマッチを連敗したのは堪えた。

「もっと上手くなりたい」

そんな感情がふつふつと沸き上がっているのを感じつつ、会場を後にした。

 

MagicOnlineのアカウントを作ったのは、石川に帰ってしばらく経ってからだったと思う。

GP前の調整方法はSkypeのビデオ通話で各々が買ってきたパックを開封し構築を検討する(?!)という今では考えられないようなアナログな手法で余りにも効率が悪かった。コミュニティと言えるコミュニティに所属しておらず、店舗や大会の開催数も少ない田舎に住んでいた自分が競技プレイをする上で、オンラインの対戦ツールは必須だと感じた。

何より、オンラインでの練習はDM時代から慣れている。(DMにもDMVaultという非公式の対戦ツールがあり、僕は昔その廃人だった)

最初は資産が無いためドラフトをして資産を集め、そのうち構築も遊べたらいいなあくらいの気持ちでドラフトに潜り続けたのだが…勝てない。とにかく勝てない。一瞬にして初期資産が無くなり、課金を余儀なくされた。
それもそのはず、当時のMOのドラフトは15ドルという紙で遊ぶのとほぼ変わらない(何ならドルの分リアルより高い)参加費で、2-0しないと賞品が貰えずペイできないという初心者にとって厳しすぎる環境だった。間接的に15ドルを奪い合う弱肉強食の世界で、ドラフトのドの字も分からないズブの素人の自分が廃人達にカモにされるのは自然の摂理だ。

それでも、アルバイトで昼夜逆転の生活を送っていた自分にとって深夜に家にいながらにして世界の対戦相手とドラフトが楽しめるというのは大きな魅力で、サンドバッグにされ続けながらも課金を繰り返した。

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当時の課金履歴。細かい課金が多いのはドラフトでピックしたカードを即座に売り、足りない分を課金して賄っていたからだ。

 最初はガムシャラにピックと対戦を繰り返していたが、そのうちリミテッドに関する記事を読みふけるようになった。現在でも毎弾公式でリミテッド記事を執筆している行弘賢氏によるドラフトセオリーや、シールドマスターとして知られるrizerこと石村信太朗氏の戦略記事は今でも僕のリミテッドの教科書だ。

行弘賢と学ぶドラフトセオリー vol.1 ~序盤はカードパワー~ | 記事

ライザの『イニストラードを覆う影』シールド環境徹底攻略! 石村信太朗|Dig マジック:ザ・ギャザリング<MTG>情報

その甲斐もあり、いつの間にか課金せずともMOが遊べる程度には資産が増えていた。今思えば、この時の経験が僕の地力を鍛えてくれたのかもしれない。

MOを導入して以降、ずっと続けていたDMを休止しMTGに本腰を入れてプレイしていくことにした僕だが、だからといってすぐに結果が出るほどこのゲームは甘くなかった。

GPの数か月前から調整をしていたにも関わらず初日落ちを繰り返すこともザラにあったし、事実、現在に至るまでの僕のGPの最高成績は最初のGPで残した11-4のまま変わっていない。

リミテッドを中心に、MOCSやMOPTQなどオンラインのトーナメントにもできる限り参加するようになった。が、あと1勝が足りずSEに残れない日々が続いた。

 

そんな中、2019年にマジックの競技シーンにおける革命が起きる。

MTGアリーナの導入とMPLの設立だ。

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MOのような化石UIでない新たな対戦ツールの登場、世界トップクラスのプレイヤーたちによるリーグ戦などe-sports色を前面に打ち出した施策に一時は心を奪われたが、同時に不安もあった。

MTGAにおける主なフォーマットは僕が大の苦手とするスタンダードということ、また世界のトップ32人以外はプロとしての恩恵を受けづらいMPL制度はレベル制だった以前までのプロ制度と比べ、一介の競技プレイヤーには目指すべき目標が高すぎるという点だ。

捕らぬ狸の皮算用と言われればそれまでだが、GPで好成績を残しプロツアーの継続参戦を目指すのと、MPL入りを目指すのでは心持ちが全く変わってくる。

 

若干のモチベーション低下の中、GP予選落ちを繰り返し自分とトッププロ達との差を感じていたところに更なる追撃が訪れた。

それはプロツアーの名前をプレイヤーズツアーに変更し、規模を縮小するといったものだ。

今まで世界の予選突破者やプロが一堂に会し行われていたプロツアーがアメリカ、ヨーロッパ、アジアの三つの地域予選に分けられ、その上位入賞者でファイナルを行うとのことで、従来のプロツアーと予選の間にもう一つ地域予選が挟まったような形だ。

以前までなら妥当に思えていたGPの2敗フィニッシュやMOPTQの1人抜けといったPT参加までの道のりが途端に割に合わなく感じられ、非常に残念に感じたことを覚えている。

また、それに伴い全国の店舗で行われた予選もショップが少ない地元ではほとんど開催されず、それなのに都会の店舗では参加者が30人を切るところもザラだという。

ここにきて競技シーン全体がウィナーテイクオール(勝者総取り)に傾きつつあること、そして埋めようのない地域格差を感じさせられたことに、心が折れかけた。

 

しかし、悪い知らせばかりでもなかった。

新フォーマット、「パイオニアが制定されたのもこの時期だ。

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未開拓のフォーマットというものはいつでも新鮮に楽しめるもので、新しいおもちゃを与えられた子供のようにパイオニアを遊び続けた。

ほどなくして翌年2月のプレイヤーズツアー及び、同時開催されるGPのフォーマットがパイオニアであることも発表され、これなら目指す意味はあるかも、と思い始めた。

制定されたばかりのフォーマットをユーザーに調整してもらう意図があったのかは知らないが、同時期にMO上で毎日のようにパイオニアによるPTQ(別名:廃人達によるβテスト)も行われていたので、こちらもできる限り参加した。

 

相変わらず調整時間はあまり取れなかったが、その分プロの配信を観て勉強した。また、noteで戦略記事を書きだしたのもこの辺りだ。プレイ時間やマッチ数だけでなく、思考や言語化に力を入れたとも言える。

プレイヤーズツアーの権利は結局取れなかったものの、数か月間パイオニアを学び続け、黒単アグロを手に臨んだGP名古屋では構築GPで初めて初日を抜けることができた。二日目の成績は散々だったが、苦手だった構築を少し克服できたような気がしてモチベーションが少し回復した。

 

そして同時開催のプレイヤーズツアーで、世界のトッププロ達が戦っている姿を目の前で観れたことも大きな刺激になった。

発表を聞いた当初はGP二日目くらいの感じになるのかな、と思っていたプレイヤーズツアーだが全くの杞憂だった。

上位卓を見渡せば、少しカバレージを読んだことがあれば名前を知っているであろうトッププロばかり。蓋を開けてみれば、トップ8にはその中でも選りすぐりのレジェンド級のプレイヤー達の名前が並んでいた。

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これは紛れもなく、僕が憧れていた「プロツアー」だ。

八十岡翔太、行弘賢、石村信太朗…あの頃から今に至るまで何度も記事を読み、動画を観返し、目標としていたプレイヤー達が勝ち上がっていることに興奮したと同時に、自分もやはりこの舞台に立ちたい、と再認識した。
規模は変わってもプロツアーはプロツアーのままでいてくれた。どこまでも実力主義なこのゲームに感謝すると共に、再度PT権利を取ることに全力を捧げることにし、今に至る。

 

正直、今回初めてPTの権利を得られたのは様々なバカヅキが重なったからに過ぎない。

最近は構築に注力していた僕が再度リミテッドをプレイしたのは、MOPTQを0-2dropし消化不良になっていたところにたまたまリミテッドのプレリミナリイベントがあり、そこでも0-2してしまったのが悔しかったからだ。その時点ではこの環境のリミテッドを今更やること自体にほとんど意味は無く、完全に情の行動だ。

そもそもオンラインを主戦場にしている自分にとって、流行り病の影響で突然MOPTQの開催数が増えたことも運が良かったと言える。(これに関しては不謹慎だと捉える方もいるかもしれないが他意は全く無い。許してほしい)

もっと言えば、シールドのプールが弱かったら、決勝ドラフトの2‐2で《キオーラ、海神を打ち倒す》が流れてこなかったら、追加分のPTQがトップ2ではなく優勝者のみに権利を与えるシステムだったら、自分は今これを書いていない。

 

マジックの競技プレイを続けていく上で一番大事なのは、打席に立ち続けることだと感じる。

田舎住みでも、仕事で大会に出られなくても、コミュニティに所属していなくても、諦めずバットを振り続けていれば、必ずホームランを打つチャンスは訪れるということがこのブログで伝われば幸いだ。

 

先日、プレイヤーズツアー♯2の中止が正式に発表となった。

権利自体は次のプレイヤーズツアー♯3に繰り越せるらしいが、現状ではフォーマットも、そもそも無事に開催されるのかさえ分からない状態だ。

一寸先は闇だが、今は来るべき時に備え素振りを続けるしかない。当面はPTの継続参戦、及びPTFの権利獲得に向けて全力を注ぎたい。

ここしばらくは放心状態で中々時間をさけていなかったが、今後はTwich(https://www.twitch.tv/azatoyellow)での配信やnote(https://note.com/swd0801)の記事執筆などの活動にもより一層力を入れ、様々な理由で中々大会に出られないプレイヤーの助けになれればと思っている。

コメントやサポートなどで応援していただければ何より幸いだ。

 

ここまで僕の自分語りを読んでくれた人がもしいたらありがとう。

投稿までにしばらく時間が空いていることからもわかると思うが、PTQを抜けた勢いで書き殴ったものの寝落ちや仕事で中途半端にしか書けなかった部分と、後から付け足した部分が混在しているので見辛い文章になってしまったかもしれないがチラシの裏なので許してほしい。

というわけでまた、オンラインで。